じゃがいも


原生種

じゃがいもは、唐辛子やトマトと同じく、中南米原産。原生種はごく小さく、また、多量に毒素をふくんでいます。じゃがいもは、野生種であっても、人間の活動エリアで育ちます。

じゃがいもの原生種に含まれる毒素は、ソラニンといい、栽培種のじゃがいもであっても、芽の部分に微量が含まれています。そのため、野生のじゃがいもを食べるためには、あらかじめ水分を抜くなどして、毒を取り除く必要があります。南米にしか自生はしていないのですが。

伝播

じゃがいもがヨーロッパに持ち込まれたのは、1560〜70年ころとされています。タバコや唐辛子、トウモロコシなどの栽培植物に比べてヨーロッパへの流入が遅いのは、じゃがいもが寒冷地での栽培に適した植物であるためか、大西洋沿岸部であまり栽培されていなかったためと思われます。その後は、飢饉に強い作物として、特に戦争のたびに栽培が広まっていったとされています。また、産業革命に伴う都市化も、都市近郊での食物需要を生み、従来は作物耕作が難しい土地でも栽培できるじゃがいもが広まっていく原因となりました。

ただし、じゃがいもは、当初はあまり好まれなかったようです。じゃがいもは穀物に比べて水分が多いために輸送が困難で、また、保管が難しいことも普及をさまたげる要因であったと考えられます。

また、ヨーロッパでは、下層階級の食物というイメージが先に定着してしまったこと、地中にできる作物が珍しく不気味なものと捉えられたことも、じゃがいもの普及を阻害する要因であったようです。

例えば、「美味礼賛」は、1820年ころに出版された本ですが、じゃがいもは、料理としてよりも、デンプンの材料として記述されています。著者のサヴァランは、後述のパルマンティエより20年ほど後の人ですが、まだ料理用の材料としてはあまり普及していなかったことを伺わせます。一方で、1750年ころには、すでにフレンチフライの原型はできていたようです。1837年には、列車の到着に合わせてジャガイモを揚げ始めたところ、列車の到着が遅れたためにジャガイモを二度揚げることになってしまい、そのことからジャガイモのスフレが発明されたというエピソードが残っており、ジャガイモ料理がすでに定着していることが確認できます。

日本には1700年ころまでには伝わっていたようですが、江戸時代には「救荒芋」と呼ばれている記録はある一方で料理書などでの記述は少なく、江戸時代には一般的な食べ物ではなかったようです。

じゃがいもを普及させた人たち

じゃがいもを普及させたことで有名な人がいます。パルマンティエ、フリードリヒ大王、川田龍吉、ウォルター・ローリー卿です。ほかにもいると思います。パルマンティエは、その功績をたたえられ、地下鉄駅にその名前を残しています。また、パルマンティエの名を冠した料理もあり、かならずじゃがいもが使用されます。

ローリー卿はアメリカ大陸のイギリス最初の植民地を築いたことで知られていますが、その結果からかジャガイモをイギリスに持ち帰り、また、アイルランドに普及させたこともローリー卿に由来するとされることがあるようです。しかし、ローリー卿がアイルランドを訪れる1580年頃にはすでに、交易によってアイルランドにはジャガイモがもたらされていたと考えるのが有力なようです。

ジャガイモがヨーロッパに持ち帰られたのは、1550年頃でしたが、それをスペインからヨーロッパ各地に移入したのは、1600年頃、植物学者のシャルル・ド・レクリューズの功績によるものとされています。

川田龍吉さんは、アメリカから「男爵いも」の種芋を輸入した男爵です。


参考

参照したりしなかったり